<Lilyofthevalley―ひとりごと>
港を出て荒野を歩きながら俺は目を眇めた。
ここらの魔物は流石に一人で相手をするとなると骨が折れるからな。集会所へ向かう前に宿でシャワーを浴びるくらいの余裕はあるだろうか…。
そんなことをつらつらと考えていたら、目的地である街が見えてきた。俺はホッとして安堵の息をついた。
「・・・・・・」
どうやら宿でシャワーを浴びている暇はないみたいだな。
バタバタと慌しく駆け回っているひとたちの様子からして、恐らく実験飛行が間もなくなのだろう。
果たして俺だけで説得が出来るかな・・・。
歩調を速めて街の奥へと急ぐ。辿り着いた先では少しだけ懐かしい顔を見つけた。
神託の盾兵の襲撃によってシェリダンが襲われ、地核停止に協力してくれたが為に命を落とした老人たち。
今度は命を落とすことの無いように、上手くことを運べれば良いのだが・・・。
「まだそれはもう少し先の話だからな。まずはアルビオールだ」
気を取り直して足を動かし、難しい顔をしたイエモンの傍によって声をかけた。
「すまないが、飛行実験をしているのはここであってるか?」
「おぉ、あっているが、一体何のようじゃ?」
「その飛行実験、先延ばしにして欲しいといったら・・・」
「普通な受け入れんな」
ただし、何か理由があれば考えんことも無い。
イエモンは俺の瞳を見て最後にそう付け足した。俺の目を見てこの老人が何を感じ取ったかはわからない。
ただ、妥協案を提示してくれたことに俺は感謝して頭を下げた。
* * *
グランコクマから出ている定期船に乗ってまずはケセドニアへ向かう。シェリダンはキムラスカ領だからマルクト国から直接船で向かうことは出来ない。
甲板の手摺に凭れ掛かった俺は深いため息を零した。ミュウが心配そうに鳴き声を上げたから、少しだけ顔をずらしてミュウに俺の顔を見えるようにしてからちょっとだけ笑いかけてやった。するとミュウはますます心配そうにした。今の俺の顔はそんなに酷い表情をしているのか?自分では精一杯笑ったつもりだったんだけどな。きっと奇妙に歪んだ顔に見えたかもしれない。
左手で顔を覆い、唇からは失笑とも取れる声が零れ出た。
誰に対して笑ったかなんて、俺にもわからない。笑ったのかすらも、わからない。
俺はみんなの元から離れてひとり海の上にいる。
正直いってとても心細かった。
あぁ、正確にはひとりじゃなかったな。ミュウが俺と一緒についてきてくれた。
「ミュウは・・・俺が消えたら、哀しむか?」
ポロリとそんな言葉が口を突いて出た。無意識だった。
ミュウは一瞬きょとんとして大きな目を瞬かせ、大きく頷いた。
「哀しいですの!ご主人様がいなくなったら、ミュウは・・・哀しいですの」
本当に哀しそうな声で言うから俺は問いかけたことに罪悪感が込み上げてきた。その場にしゃがみ込んでミュウの頭を一度だけ撫でて、ありがとうな、ていってやった。そうしたらミュウは「ご主人様、泣きそうな顔してるですのっ、泣かないでくださいですの・・・!」「・・・バーカ。泣かねぇよ」ピョンピョン跳ねながら、ご主人様ーと繰り返していた。
この健気な聖獣の仔には哀しむような思いをして欲しくないと思った。
漸く揺れない大地に足をつけることが出来て、俺はホッと息をついた。
賑わうケセドニアの街中を歩き進む。その途中だった。
とても、とても見慣れた色を人混みの中で見つけてしまった。
呆然として見つめる先には―――
目にも鮮やかな紅色が。
「あ・・・しゅ、っ、アッシュ!」
気付いたら俺は紅色目掛けて走り出していた。ひとが多いから時折肩がぶつかったりした。その度にごめんなさいという言葉だけを残して、あとは脇目も振らずに走った。
走っているのに。もどかしいくらいに手を伸ばしても触れたい赤毛の背中に届かない。
焦れた俺は必死にアッシュの名を呼び続けた。だけど名の持ち主である俺の被験者は振り返るどころかピクリと肩を揺らすような小さな反応も示してくれなかった。
その内に人の多さが増して、アッシュの後ろ姿が完全に人混みの中に消えてしまった。
慌てて流れてくる人を掻き分けて進んで行っても、国境に辿り着いたときにはアッシュの姿はどこにもなかった。
はぁはぁ、と肩で息をしながらそれでも期待を込めて辺りを見回す。
まだ、まだ近くにいるかもしれない。そんな淡い期待を込めて。
でもそれは無駄に終わった。
この広いケセドニアではひと一人を見つけ出すのは限りなく無理に等しいことは俺にでもわかる。
はあぁ、と一際大きく息を吐き出した俺はそのままふらりと定期船乗り場へ向かった。
違う、今はアッシュを探すんじゃなくてセントビナーのひとたちを助けるためにシェリダンに行ってアルビオールを借りることが先なんだ。
アッシュは・・・またそのうち逢えるだろうしな。
俺は自分にそう言い聞かせて気を持ち直した。
船着場でシェリダン行きはあるかと訊いたら、明日の朝になりますと返された。ということは今日はケセドニアで一泊を明かさなくちゃならない。
どの宿に泊まろうか、と視線を彷徨わせて歩いていた。何となく目を向けた先に、人が居た。
あ、て思ったらそのひとと目が合ってしまった。俺は今とんでもなく驚いた顔をしていると思う。相手も驚いたように眉を跳ね上げさせていた。だけどすぐにいつものように眉間に皺を寄せてしまった。そして更に驚いたことに向こうから俺の方へ歩いてきた。
ちょ、俺確かに探したりはしたけど、こういうバッタリ遭遇っていうシチュエーション苦手なんだよなっ、しかも相手が・・・
「・・・アッシュ」
だったら尚更に。
アッシュは俺がひとりでいることを不思議に思ったらしい。開口一番が「他のやつらはどうした」だった。
・・・他にいうことあるだろ。とか思ってちょっとだけ半眼になったらアッシュの不機嫌そうな目が何だと問うてきた。
とりあえず俺は訊かれたことに答えようとして唇を開いた。
今度からひとりで行動することにしたんだよ。その方が動きやすいしな。
そういった。つもりだった。
でも実際音となって口から外に出たのは全く違う言葉だった。
「・・・アッシュは、憶えてない・・・?」
「は?」
何いってやがる、とアッシュは呆れたような顔をした。
ぐっと唇を噛み締め俺は眉尻を下げて、ゴメン何でもないといって笑った。そうしたらアッシュが表情を消した。いつものような怒っているみたいな顔じゃない、本当に無表情になったアッシュは怖かった。
思わず一歩後退るとアッシュが俺の腕ぐいと引っ張った。加減の一切無い力で引っ張られたから俺は顔をしかめてしまった。だけどアッシュはそんな俺の反応を無視して
「何があった」
「べ、つに・・・何も」
真摯な眼差しで訊ねられて俺はそれだけを搾り出した。全てを見透かされそうで怖いアッシュの深緑色の双眸に映し出された俺の顔は変に歪んでいた。
「何が、あったんだ屑」
もう一度同じことを繰り返された。屑は余計だアホアッシュ。俺との約束忘れてるくせに。
そんなことを思いながら俺はアッシュから顔を逸らした。
おい屑、と俺を呼ぶアッシュの声が聞こえる。
俺は耳なんか聞こえなくなればいいのにと思った。
眼も見えなくなればいいと思った。
そうすればアッシュの声は聞こえなくなるし姿も見えなくなる。
押し黙った俺にアッシュが苛立たしげに舌打ちをした。顔を俯けた俺は顔を上げることが出来なかった。
「―――なっ、おい!」
俺は腕を振り上げてアッシュの手を払い除けて走り出した。少しだけ慌てたようなアッシュの声が背中に掛かる。それを無視して俺は走り続けた。
走って走って。アッシュに気付かれ無さそうな裏路地に駆け込んでずるずるとしゃがみ込む。
前髪を掻き揚げて目元を両の掌で目隠しした俺の世界は真っ暗だった。
真っ暗で何も見えない。
その中で、ひたすら俺を呼び続ける声が聞こえる。
鼓膜を通じてではなくて、脳へ直接呼びかけるように響いてくる。
それを掻き消したくて。
「頼むから。・・・呼ばないでくれよ」
消え入りそうな声で呟いたら、頭の中で響いていた声がふっと消えた。
あとに残ったのは街の賑わいと喧騒と俺の鼻を啜る音だけだった。
プロットでは出なかったアッシュが登場。
彼がルークの前に現れたのは愛故なのだと思っています。